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ロックの部屋

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ドアーズ

ドアーズ『STRANGE DAYS』~音楽が終わったら~



ジム・モリソン
《だいたい感じるのはヘヴィーだな。うっとうしい感じだよ。アットホームな感じがなくて、リラックスしていない。なんかわかんないけど気が重いってやつ………俺がしたいのは、もっと自然なフィーリングだ》  ワーナービデオ~ジム・モリソンに捧ぐより~

社会の枠組みの中に入り込んで溶け込んでいる振りをしたり、その中で一日を過ごしたりすると、このジム・モリソンの言葉が身にしみてくる。皆それは感じるのだろうけど、自然なフィーリングていう奴を取り戻すために、普通の社会人はゴルフをしたり釣りをしたり旅をしたりして解消したりしているのだろう。

音楽を生きざま、趣味(特にロック)にしたりしてしまうと、自分自身の心が鏡になってしまって、さらに研ぎ澄まされて気づかされてしまう。これは不幸なことなのか幸福な事なのかは分からない。確実に言えることは、こういった人種は現代社会のメインストリートにはけしてならないということ。

ドアーズ時代のジム・モリソンには数々のエピソードがあります。ステージ上で衣服を脱いでストリップをしたりマスターベーションをして逮捕されたり、ステージに上がったものの歌わず客を挑発する言葉を発し続けたり、酒とドラッグでラリっぱなしでライブにならなかったりと……

ドアーズの「When The Music’s Over」(音楽が終わったら)はアルバム『STRANGE DAYS』のラストに収められている。ベスト集でもディスクのラスト曲に選ばれる事が多い曲です。音楽と彼ら(社会)と私達の関係をシュールに描いている聴き応えタップリの曲なのです。

《When The Music’s Over》
♪音楽が終わったら
 明かりを消すのさ

 そう、音楽はきみの特別の友だ
 音楽の望むように炎の上で踊れ
 音楽は君の唯一の友だ
 最後まで

鏡の中の顔は止まらない
 窓の女の子は落ちはしない
 群れ集う友達がみんな生きている
 彼女が叫んだ
 僕は外で待っている

 彼らは大地に何をした
 彼らはぼくらの清らかな妹に何をした
 強奪し略奪した
 彼女を八つ裂きにし彼女を噛み切った
 ナイフを何本も突き刺した
 夜明けの見ている前で

 とてもやさしい音が聞こえる
 きみの耳を大地にあててごらん
 ぼくらは世界がほしい
 ぼくらはそれがほしい

 だから音楽が終わったら
 明かりを消すのさ♪


《窓の女の子》とは幻想。《清らかな妹》とは特別な友。《音楽の終わり》は死を意味するが、同時に安息の《大地》も意味する。だから音楽が終わったら明かりを消さなければならない。

ジム・モリソンの死は1971年7月3日、パリのアパート滞在中、入浴中に心臓麻痺を起こして死んだとされている。発見者は夫人のパメラ。しかし、音楽関係者で彼の死を確認したものはいない。パリのアパートでは既に閉じられた柩と死亡証明書、葬儀の日取りも秘密裏に決められた。葬儀の参列者はたった5人。報道関係者に公表されたのがジムの死後6日目葬儀の2日後だった。死亡証明書にはある医師の署名があったが警察の立ち会いも解剖もなかった。

夫人のパメラも3年後自殺したとされている。今となって真相は闇の中。

ジム・モリソンの死亡を受け入れられないという人々もいるようです。彼はヒーローという虚像から解放されたいと願っていた事実。ジムがランボーの生涯と詩を研究していた頃、ランボーが19歳までに詩作を終え、北アフリカに姿を消したあと、銃の売買をやっていたということに心を打たれていたという事実。

親友達は、悪ふざけの好きだったジムなら、自分の死を演出しどこかに逃亡しているのだろうと思っている。

それが事実か虚構なのか……どちらにしてもドアーズの音楽は私の心に生き続けている。音楽が特別の友であり鳴り続けている限り。。


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